一昨日は、ふつうに暮らして、夜、いつものように寝たジャスティスですが、昨日の朝、ごはんも食べず、お水も飲みませんでした。おやつのお野菜やハーブをあげても口もつけず、流動食を口に入れても、モグモグしませんでした。
これで、ただ事でないことは明らかでしたが、ジャスティスはいつも通り力強くて、すぐに命に別条があるわけではなさそうだったので、歯とお腹をチェックしました。歯はきれいでしたが、お腹がパンパンでした。
ジャスティスは、前日、いつもより微妙に多めのおやつを食べたような気がしますが、それにしてもお腹が張るのはおかしいので、とりあえず、お腹が張った時にいつもするようにマッサージをしながら、病院が開くのを待ちました。
マッサージはすぐに効いて、ガスが出て、ふんもたくさんして、お腹の張りがとれたので、ジャスティスが食べ始めるだろうと思ったのですが、ジャスティスは食べもせず、飲みもしませんでした。微量の尿が出て、血尿だったので、これは病院に連れていって、尿道炎の可能性を調べてもらわないとと思い、予約をとって、自分が出かける準備をするのにジャスティスをベッドに戻そうとしたところ、いやがるように動いて、けいれんを起こしました。3秒近かったと思います。長いけいれんでした。
そこで、ジャスティスをベッドに帰すのはやめて、だっこしたまま、できる用事だけ済ませました。ジャスティスの足の裏が冷たいし、けいれん、食べない、飲まないと考えると、これは、ジャスティスの寿命がきたかもしれないと思いました。でも、ジャスティスは力強いし、頭もしっかりしていて、いつも通り、自分の意見をちゃんと主張するので、尿道炎で食べられない可能性がゼロではないかもしれないじゃないかと自分に言い聞かせ、病院に連れて行きました。
病院で受付を済ませると、看護師が二人やってきて、「トリアージをします」と言うのです。救急病院でもないし、エキゾチックの医者が一人いるだけの病院で、予約も取ってあるのにトリアージでもないだろうと思い、なんのためにするのかと聞いたところ、「生きているかどうかチェックするためです」との返事。
白人のオーストラリア人は、相手が有色人種とみると、いけしゃあしゃあとそういうことを口にしますよね。アジア人が白人に同じことを言ったら、絶対に大騒ぎになるでしょうに。まぁ、ベッドに横になって、ふとんをかぶっておとなしくしているモルモットなど見たことがなかったのかもしれませんが。
トリアージはお断りして、医師が来るのを待って、心臓と肺の音を聞いてもらいました。モルモットを診たことがない医者だとしても、ふつうそれくらいはできるので。結果、心拍がモルモットにしては、とてもゆっくりだと言われました。これは老衰で間違いなさそうでした。
医者は、メサドン(オーストラリア人が大好きなヘロインの代用の麻薬)を注射したら不快感がなくなると思うけどと言いましたが、ジャスティスはとくにどこも痛くなさそうなのに、注射で痛い思いをさせるのはいやなので、お断りして連れて帰りました。
帰ってからのジャスティスは、アクアコールを一口二口飲んで、大好きなベビーフードをちょっとなめた以外、あいかわらず飲まず食わずでしたが、いつもどおり身体や手足に力があって、頭もしっかりしていました。なので、いつも通り、一時間弱、モ留守番してもらうことにして、食料品などのお買い物に行きました。
私が帰宅してからのジャスティスは、ベッドの中で頭を上げて私のことを追うので、だっこして過ごすことにしました。いっしょにおふとんをかぶっていたら、冷たかったジャスティスの足が温かくなりました。ジャスティスがうとうとし始めたので、ベッドでゆっくり寝たいかと思い、ベッドに返したのですが、私のことをじーっと見てばかりて、ちっとも寝ないので、結局、まただっこして、時々、アクアコールやおミカンジュースや流動食をあげると一口二口モグモグして、夜遅くまで過ごしました。
夜遅くなって、私も疲れたので、ジャスティスをお腹に乗せて、いっしょにふとんをかぶって横になりました。ジャスティスが若い頃はいつもこうやって、私の朝の二度寝で、寝過ごさないようにジャスティスに付き合ってもらっていました。
ジャスティスは、深夜から、時折、咳ともしゃっくりともつかないものをするようになりました。ジャスティスが回復してくれるのが第一希望ですが、それがかなわないなら、せめて苦しむことがないようにと思っていました。
明け方近く3時20分過ぎだったはずですが、咳の感覚が短くなってきたので、私は起き上がってジャスティスを膝に乗せ、片手をジャスティスの枕にし、反対の手で体をさすったところ、すぐにせきが止まりました。マヌケな私は咳が止まってよかったと一瞬、思いました。ジャスティスの顔を見たら、目の光がいつもと違いました。ジャスティスのことを呼んで、身体をゆすりましたが、もう力はありませんでした。病気のモルモットと違って、ジャスティスは最後まで力がありました。つけっぱなしだったテレビを見たら、3時24分の表示がありました。
ジャスティスは子どもの頃から、いつも私のことをじっと見ていて、私がジャスティスに背中を向て用事をしていると、怒って、自分も私に背中を向けて、壁をじっと見つめているような子でした。お庭のある家に住んでいた時は、お庭の芝生で日光浴がてらのお食事を毎日40分は楽しみましたが、ジャスティスは、私が膝立てして座っている足の下に隠れながら草を食べているにもかかわらず、大きな音がしたりして驚くと、ひざの下から飛び出してきて、私の腕に飛び乗るのが常でした。
車にもバスにもフェリーにも乗って、どこへでもいっしょに行きました。スーパー、カフェ、レストラン、病院、ロースクール、バリスターのチェインバース、裁判所、ホテル、モーテル、B&B、ビーチにブッシュ。いろんな人に会って、だっこしてもらったり、なでなでしてもらいました。人当たりが良くて、うちにお客さんが来ると挨拶しに出てきては、人見知りもせずなでてもらっていました。私といっしょに引っ越しも3回しました。
私の自慢のモルモットでした。私のところに来てから、8年6カ月2週間。ジャスティスがいたから、生きてこられました。Love you, Justice. You know it. You are the best piggie in the world. 今でも、ジャスティスが私に愛してるるるるるーの歌を歌ってくれてるのが聞こえます。
写真は病院から帰ってきて私の膝の上で休んでいるジャスティスです。